皆さま、こんにちは。どまんなかアニメ映画祭 総合プロデューサーの近藤 良英です。

 1980年代には多くの個性的なアニメーション映画が誕生しました。

 「どまんなかアニメ映画祭」を何度開催しても紹介しきれないくらいの才気がみなぎる作品が存在します。日本のどまんなか、名古屋で誕生した「どまんなかアニメ映画祭」は、ファンの皆様、登壇ゲストの皆様、そして劇場のスタッフに支えられて継続、発展していきます。

 1980年代のアニメ作品が放つエネルギーを、ここ日本のどまんなかの名古屋でふたたび体感してください。

 

「どまんなかアニメ映画祭」

総合プロデューサー 近藤 良英

プロデューサー雑記3

 私は一昨年の9月に以前の会社を定年退職し、10月から中日本興業にお世話になっています。

 

 9月の始めだったか、常務にお会いすることがあり、その時に「アニメ映画祭」の構想をお話ししました。

 常務には「安彦さんがポスターを描いてくれるなら」と大変のっていただいたので、私はもうアニメ映画祭は決まったものと確信し、仮に次の年の春(2024年春)に開催するなら、早めに動いたほうがよいと勝手に判断し、入社前でしたが、9月には安彦さんに電話して公式ポスターを依頼しました。原稿料も私が勝手に決めてしまいました。

 

 勝手に決めるときは、昔からそうですが、会社が払ってくれないのなら、自腹で払う覚悟で決めます。40年前に松竹の映画製作本部にいたときにも、私はまだ助手だったのに、上司のプロデューサーの判断をあおがずに勝手に俳優さんのギャラを決めてしまい、あとで怒られたことが何回かありました。

 この年になっても同じやり方しかできないので、成長がないと思いますが、40年間こんなやり方できてしまったので、もういいよね。


 なので、10月に中日本興業に入社したときには安彦さんの了解を得ており、11月末には安彦さんの公式ポスターの原画が完成しました。安彦さんから「名古屋らしい絵にしたい」とご提案があり、「名古屋の人たちのファッションが知りたい」とのご希望がありましたので、私が「東京も名古屋もファッションは変わりませんよ」と申し上げたところ、「そんなことはないよ」とのことでしたので、それならとミッドランドスクエア シネマの支配人に相談したところ、名古屋駅の人たちの動画とスナップ写真を数十枚送ってくれました。

 

 この資料はとても参考になり、安彦さんのポスター絵には実物が描かれているので、「本人が見たらわかっちゃうかなあ」とおっしゃっていました。ちなみにポスターに描かれているモード学園スパイラルタワーズについて、安彦さんは「新幹線で通るたびに眺めているけど、いいデザインだなあ」とおっしゃっていました。 

 

つづく

 これから映画祭までの間、不定期でメールマガジンの配信を予定しています。最後までぜひ、お付き合いください。
 
 また、noteにて、1980年代に私がアニメ映画の宣伝をしていたころの思い出をつづっています。よろしければ読んでください。

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